中土世界的历史中文版:日本的文化

来源:百度文库 编辑:高校问答 时间:2024/05/03 09:18:32
节日

一 日本の祝祭日(しゅくさいじつ)

日本に初めて行った中国人は、日本の祝祭日が多いのに惊く。特に、中国ではまだ周休二日の制度が実施されていなかった时代には、凄く羡ましく感じた。ここに日本の法定祝祭日を绍介しておく。全部で15日である。この中で、祝祭日が日曜日に当たる场合、月曜日に振替休日(ふりかえきゅうじつ)がある。(日本の役所は周休二日を実施していない。)

一月一日 ーー元旦(がんたん) 规定は一日だが、実际には 前后一周间ほど休む。
一月の二回目の月曜日ーー成人の日(せいじんのひ) 20歳の若者の祝い
二月十一日ーー建国记念の日 (けんこくきねんのひ)
三月二十日或いは二十一日ーー春分の日(しゅんぶんのひ)
四月二十九日ーー绿の日(みどりのひ) もと昭和天皇の诞生日
五月三日ーー宪法记念日(けんぽうきねんび)
五月四日ーー国民の休日(こくみんのきゅうじつ)
五月五日ーー子供の日(こどものひ)〔端午节(たんごせつ)〕
七月二十日ーー海の日(うみのひ)
九月十五日ーー敬老の日(けいろうのひ)
九月二十二日或いは二十三日ーー秋分の日(しゅうぶんのひ)
十月の二回目の月曜日ーー体育の日(たいいくのひ)
十一月三日ーー文化の日(ぶんかのひ) もと明治天皇の诞生日
十一月二十三日ーー勤労感谢の日(きんろうかんしゃのひ)
十二月二十三日ーー今上天皇の诞生日

以上は法定祝祭日で、休日になるが、民间の祭りとしては、また别にある。次に主なものを列记する。

二月二日ーー节分(せつぶん) 立春の前の日で、豆まきをして、福を招き、鬼を追い出す。
二月十四日ーーバレンタインデー
三月三日ーー雏祭り(ひなまつり) 桃の节句とも言い、女の子の节句。
四月上旬ーーお花见(おはなみ)
四月二十九日から五月五日までーーゴールデンウィーク
五月二回目の日曜日ーー母の日(ははのひ)
七月十七日ーー京都只园祭り(きょうとぎおんまつり)
八月六日ーー広岛原爆记念日(ひろしまげんばくきねんび)
八月十五日ーー终戦记念日(しゅうせんきねんび)
八月中旬ーーお盆(おぼん) 民族大移动(みんぞくだいいどう)
八月十六日ーー京都大文字送り火(きょうとだいもんじおくりび)
九月一日ーー防灾の日(ぼうさいのひ) 関东大震灾を记念して、防灾の意识を强める。
十一月十五日ーー七五三(しちごさん) 3、5、7歳の子供のための祭り。
十二月二十五日ーークリスマス
十二月三十一日ーー大晦日(おおみそか)

日本的节假日
初次到日本的中国人因为日本的节假日多而感到惊讶。特别是在中国没有实行双休日之前,很羡慕他们。这里介绍一下日本的法定节假日。一共是15天,其中当节假日与星期日重合时,星期一补一天假。(日本的政府机关没有执行双休日制度。)

一月一日----元旦 规定是休息一天,实际上前后休息一周左右。
一月第二个星期一----成人节 为20岁的青年祝贺。
二月十九日----建国纪念日
三月二十日或者二十一日----春分
四月二十九日----绿色之日 已故昭和天皇的诞生日
五月三日----宪法纪念日
五月四日----国民休息日
五月五日----儿童节(端午节)
七月二十日----海之日
九月十五日----敬老日
九月二十二日或者二十三日----秋分
十月第二个星期一----体育日
十一月三日----文化节 已故明治天皇的诞生日
十一月二十三日----勤劳感谢之日
十二月二十三日----当今天皇的诞生日

以上是法定节假日,放假一天。除了这些外,还有很多民间节日,下面把主要的记录如下。

二月二日----节分 立春的前一天,撒黄豆,招福驱鬼。
二月十四日----情人节
三月三日----偶人节 又称桃花节,是女孩子的节日
四月上旬----赏樱花
四月二十九日到五月五日----黄金周
五月第二个星期日----母亲节
七月十七日----京都祗园花车游行
八月六日----广岛原子弹爆炸纪念日
八月十五日----战争结束纪念日
八月中旬----盂兰盆节 民族大移动
八月十六日----京都大文字送灵火
九月一日----防灾日 纪念关东大地震,加强防灾意识。
十一月十五日----七五三 为7岁、5岁、3岁的孩子过节。
十二月二十五日----圣诞节
十二月三十一日----大年三十

日本重要节日
日本政府规定的节假日共有14个,简介如下:

元旦:1月1日。按照日本一般风俗,除夕前要大扫除,并在门口挂草绳,插上桔子(称“注连绳”),门前摆松、竹、梅(称“门松”,现已改用画片代替),取意吉利。除夕晚上全家团聚吃过年面,半夜听“除夕钟声”守岁。元旦早上吃年糕汤(称“杂煮”)。

成人节:1月第2个星期一。凡年满20岁的男女青年在这一天要身穿节日盛装参加各级政府为他们举办的成人仪式和庆祝活动。

建国纪念日:2月11日。据日本神话,神武天皇于公元前660年2月11日统一日本,建立日本国。
春分:3月21日。是天皇祭祖、百姓祭祀祖先的日子。

植树节:4月29日。

宪法纪念日:5月3日。纪念1947年5月3日日本国宪法的实施。

国民节:5月4日。

男孩节(又称“儿童节”):5月5日。这天有儿子的家庭房前均悬挂布制大鲤鱼(称“鲤帜”)。日本以阳历5月5日作为端午节。端午节与男孩节同日,所以这天家家户户门上还摆菖蒲叶,屋内挂钟馗驱鬼图,吃糕团(称“柏饼”)或粽子。

海之日:7月20日。日本四面环海,为了感谢得自海洋的恩典,并祈祷能成为国运昌隆的海洋国家而制订。(制定于1941年,从1996年起成为国民纪念日)。

敬老节:9月15日。各市、町、村纷纷集会庆祝,并向老人赠送纪念品。

秋分:9月23日。是天皇秋季祭祖的日子。

体育节:10月第2个星期一。纪念1964年第十八届国际奥林匹克运动会在日本东京开幕。

文化节:11月3日。对文化事业有卓越贡献者在这一天被授予“文化勋章”。

勤劳感谢节:11月23日。

天皇诞生日:12月23日。明仁天皇1933年12月23日出生,1989年1月7日即位,年号“平成”。

如果去日本作商务旅行,一年中应避开的时间是12月中旬至次年1月中旬(岁末欢度新年时节)、4月29日至5月5日(黄金周假日,日本人一般外出旅游,许多商店都停止营业)、7至8月(这期间商人们要去度假)。

二 盂兰盆节

盂兰盆(うらぼん)
8月には学生は夏休みになりますが、日本では社会人やその家族达も短い休みを行います。それはちょうどお盆が8月にあり、そのために大势の人が田舎に帰るからです。
お盆はまた盂兰盆と呼ばれ、日本でお正月に次ぐ大きな行事です。もとは仏教の行事でした。うらぼんはUllabanaの音訳を略称したもので、本意は「倒悬(逆さづりの苦)」と訳し、この倒悬の苦を救うために法会を行うのでした。「盂兰盆経」等によると、目连尊者が饿鬼道に落ちた母の苦を、仏の教えにしたがって、7月15日(旧暦)に种々の食べ物を供え、この供养で亲の苦を救ったと言われています。
この行事は古くからインドや中国で行われていましたが、日本でも飞鸟(あすか)时代から始まっています。后に広く伝わり、精霊棚を饰り、迎え火送り火を焚いて先祖を祭る日本独特の年中行事となりました。いまでは8月13日前后に先祖の霊を迎え、3日间家族と生活し、16日に送り火であの世に送り返します。京都の大文字焼きはこれら行事の最高でしょう。
日本では自分の故郷を离れて外地で働いている人が多いので、この期间を利用して来各地から故郷に帰ります。先祖との再会と生きている人々の団栾が一绪になったと言っても过言ではないでしょう。中国の风习から见ると、清明と春节が一绪に来たようです。それで皆が自分の故郷に移动するので、「民族大移动」と言われ、大都会の东京などは一时寂しくなります。
お盆の付き物は盆踊りです。盆踊りは本来地狱の亡者の喜びを表わすものであったのですが、今は各地の特徴のある民间踊りとなりました。夏の夜、太鼓の音に合わせて村の全员が轮になって踊るのは、この时期全日本の各地で见られる风景画です。
お盆が済むと、そろそろ秋になり、台风がやって来る季节になるのです。

盂兰盆节
8月份学生们放暑假,但在日本,工作人员和家庭成员也要过短时间的休假。这是因为8月有个盂兰盆节,大量的人都在这时返回乡下的老家去。
盂兰盆节是在日本仅次于元旦的盛大活动,原来是佛教的法式。盂兰盆是“Ullabana”的音译略词,本意是“倒悬之苦”,为了拯救这个苦难而进行的法式。据“盂兰盆经”的解释,说是目连尊者为了拯救陷入饿鬼道的母亲,按照佛教的教义,在7月15日(阴历),供奉各种食品为供品,以这个法式救出了母亲。
这个活动在很古以前在印度和中国盛行,在日本则从飞鸟时代开始进行。后来传播得很广泛。家家都设魂龛、点燃迎魂火和送魂火,成为祭奠祖先的日本特有的活动。现在是在阳历的8月13日前后迎接祖先的灵魂,和活人一起生活4天,16日以送魂火的方式把祖先的灵魂送回阴间。京都的“大文字烧”就是这个活动的顶峰吧。
在日本,离开自己的故乡到外地工作的人很多,所以利用这个时段回老家团聚。可以说这是祖先和活着的人一起聚会,也不算过分吧。从中国的风俗来看,好象是把清明和春节一起过一样。因为城市里的人都回到乡下去,被称作“民族大移动”,这时大城市东京等地有一段时间显得很冷清呢。
盂兰盆节少不了的是盂兰盆舞。这本来是表达了离开地狱的人们的喜悦,现在已经变成了具有各地特征的民间舞蹈了。在夏天的夜晚,合着大鼓的鼓声,全村的人围成大圆圈跳舞,是这个时期在日本各地都能够见得到的风景画。
过了盂兰盆节,渐渐进入秋天,该是台风袭来的季节了。

三 端午节

端午の节句(たんごのせっく)
五月五日は日本の「端午の节句」です。端午の节句はまた「子供の日」とも言われ、男の子の祭り日です。この日には、男の子のいる家では武者人形(むしゃにんぎょう)を饰り、鲤帜(こいのぼり)を立てて粽(ちまき)や柏饼(かしわもち)を食べて祝います。
鲤帜を立てるのは、子供が鲤のように元気に育つのをねがうためです。鲤帜を下から见ると、青い空に浮かんだ鲤は、水の中で泳いでいるように元気に见えます。その外に、邪気を払うために、菖蒲(しょうぶ)を轩(のき)に挿し、菖蒲汤に入ります。
端午节の习惯は、日本の平安时代以降に中国から伝わってきたものです。しかし、今では中国と相当违う意味になりました。中国では旧暦でこの日に屈原(くつげん)を记念して粽を食べたり、ドラゴンレースをしたりしますが、日本では邪気(じゃき)よけに粽や柏饼を食べます。菖蒲は叶の形が剣(けん)に似ているところから、悪魔払いの意味で取り入れたものです。中国では菖蒲汤には入らないけれど、菖蒲酒を饮みました。客観的に言えば、5月になれば、万物が盛んになる季节で、百虫の繁殖も盛んになり、病気をもたらす季节でもあるのです。菖蒲は薬草なので、病魔を避けられるということです。
また、日本でなぜ男の子の节句になったのかというと、これは、菖蒲が尚武に通じるところから、変わったのです。男の子の健やかな生长と立身出世を愿って、鲤帜や武者人形、铠(よろい)、兜(かぶと)が饰られるようになったのです

端午节
5月5日是日本的端午节。端午节又称儿童节,是男孩子的节日。这一天有男孩子的家庭,竖起鲤鱼旗,吃粽子和柏叶饼来祝贺。
竖鲤鱼旗是希望孩子象鲤鱼那样健康成长。从下面看鲤鱼旗,浮现在蓝天下的鲤鱼就很象在水中健壮地游。另外,为了避邪,把菖蒲插在屋檐下,把菖蒲放入洗澡水中洗澡。
端午的习惯是在日本的平安时代以后由中国传入日本的。到现在,与中国有完全不同的意义了。在中国是在阴历的这一天为纪念屈原而吃粽子和举行赛龙舟的活动。而在日本,主要是为了避邪而吃粽子和柏叶饼。菖蒲是因为叶子的形状象剑,而用来避邪的。中国不用菖蒲水洗澡,但喝菖蒲酒。从客观地说,这个时期是万物生长的时机,同时也是百病可能发生的季节。菖蒲是中药,能够消除病魔。
那么为什么在日本端午节变成男孩子的节日呢?这是因为在日语中“菖蒲”和“尚武”是谐音,因此渐渐地变成了男孩子的节日。人们希望男孩子茁壮成长和事业发展,而竖鲤鱼旗,摆上武士偶人、盔甲和战帽。

四 女儿节

3月3日--雏祭り
雏祭り(ひなまつり)はまた「雏节句(せっく)」、 「桃の节句」、「弥生(やよい)の节句」、「上巳(じょうし)の节句」とも言い、女の子の将来を 祈る祭りである。
古くから日本では「雏游び」というものがあった。ひな人形を作り、玩具の调度 品(ちょうどひん)を供えて游ぶ女の子の游びであった。また中国から伝わった厄払い(やくばらい) とは、身についた厄を払うために神仏(しんぶつ)に参拝(さんぱい)することである。この二つの行 事が一つになり、初めは流し雏(ながしびな)の行事を行った。それは三月の巳(み)の日に纸人形に 生年月日を书き、阴阳师(おんようじ、おんみょうじ)の祈祷(きとう)によって、身の汚れをこれに 移し、川や海に流す行事である。この行事はいまでも鸟取(とっとり)県に残っている。昔水に流した 人形を棚に饰り、进化し、商品化したのが今の雏坛(ひなだん)である。雏坛に白酒、菱饼や桃の花を 饰り、その前で、女の子たちは奇丽な和服を着て、游ぶのである。
雏坛は赤い绒毯を敷いた阶段で、最上段には内裏様(だいりさま)、次の段には 三人官女(かんじょ)、三段めは五人囃子(ごにんばやし)、その下が左右大臣(さゆうだいじん) である。最近は七段、八段と并べてある商品もあるが、価格が高いのと部屋が狭いのでどれぐらいの 人が买うだろうか。両亲が娘に揃えたり、娘の娘に送ったりする。
雏人形は昔の宫廷(きゅうてい)を模拟(もぎ)したもので、当时写真が无い时 の御姫様(おひめさま)の结婚の様子を现したという说もある。现代の太子妃が结婚の际、御内裏様と 同じような十二単(じゅうにひとえ)を召しておられる。今は大きい雏坛は场所を取るので、却って小 さな変わり雏を饰る家庭もある。

3月3日--女儿节

3月3日是女儿节,在日本有很多名称,是祝愿女孩子幸福的节日。

从古代起日本就有“雏戏”,是作些偶人和配一些生活用品的女孩子的游戏。另外从中国传去了驱邪的祈祷活动。这两个结合在一起,渐渐转变为女儿节的活动。起初是作一个纸偶人,上面写上生年月日,在算命先生的引导下把自己的不幸转到偶人身上,再冲到海里或河里。现在,在鸟取县仍然保留着“流雏”的活动。把古代冲到水中的偶人现代供到台上,形成了进化了的、商品化的女儿节偶人坛。再供上白酒、菱形年糕和桃花,女孩子穿上漂亮的和服,在偶人坛前尽情玩耍。

女儿节偶人坛是铺设着红地毯的多层台阶。最上面是宫廷的帝王夫妻;第二层是3个女官,第三层是5个宫廷乐师,第四层是左右大臣。最近开始出售7层、8层的偶人坛,但是由于价格昂贵和日本住房狭窄,究竟能有多少人购买呢?父母给女儿准备,或外祖父母给外孙女准备。

女儿节偶人是模仿古代宫廷的生活场面,所以有一说是公主结婚时代替照片的东西。现在的太子妃在婚礼上的装束就和偶人坛的最上层的王后一样的“十二层领和服”。现在由于大的偶人坛太占地方,有些家庭摆设着简易的“变形偶人”。

五 节分

节分(せつぶん)
本来の読み方は「せちぶん」で「せちぶ」とも言った。季节の変わり目。即ち立春、立夏、 立秋、立冬の前の日の称であるが、主に立春の前の日を指す。伝统の能狂言のストリーによると、 节分の夜、蓬莱(ほうらい)の岛から来た鬼が主人ガ留守の女主を口说く。女は妻になると伪って 鬼所有の宝物を取り、豆を撒いて鬼を追い出す。
この话から、节分のは柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)の头を刺したものを戸口に立て、 「鬼打ち豆(おにうちまめ)」と称して「鬼は外、福は内(おにはそと、ふくはうち)」と唱えながら、 煎った大豆を撒く习惯がある。お寺では节分祭を行う。

日本的传统活动--立春前一日赶鬼(节分)
节分是指立春、立夏、立秋、立冬的前一天,但主要是指立春的前一天。根据日本传统戏剧的故事, 据说在立春的前一夜,来自蓬莱的恶鬼到丈夫不在的女人家去求爱。女人佯装答应,骗得恶鬼的财宝后,撒黄豆把恶鬼赶走。
由于这个故事,在日本很早就有一个传统的习俗:在立春的前一天傍晚,把插上沙丁鱼头的枸骨枝立到门口,进行“豆打鬼”的活动。把黄豆炒好,放在篮子里,口念“鬼出去,福进来”,在房屋四处撒豆子。在寺庙里还进行祭祀活动。

お正月
お正月

私の国のお正月はほんとうにたのしいです。まずお正月になる前に家の大そうじをします。新しい気もちで新年をむかえられるようにです。そして12月29日ごろから亲せきが长男の家に集まります。女の人たちはお正月に食べる料理を作りながらいろいろな话をします。男の人たちはお酒を饮みながらカードをします。12月31日の夜はだれもねてはいけません。韩国のことわざで「12月31日にねると、かみのけとまゆげが白くなる」と言われているからです。12月31日の夜、12时になると33回かねをならします。その音を闻きながら「1年间幸せにくらせるようにしてください」とおねがいします。

1月1日の朝は家族が全部集まって先祖に感しゃします。それからいろいろな正月料理を食べます。子どもたちは年上の人にあいさつをしてお年玉をもらいます。そしてたこあげやこままわしをして游びます。おとなたちはお酒を饮みながらいろいろな话をします。1月中みんな新しい気もちですごします。

お祭り(日语)

日本には全国各地にいろいろな祭りがあります。夏祭りや秋祭りが多いです。夜祭りとか火祭りなどの珍しい祭りもあります。日本三大祭りというのは东京の神田祭り(5月12~16日)、京都の只园祭り(7月17日中心)、大阪の天満天神祭り(7月24日~25日)です。その他、京都の三大祭りや东北のねぷた祭りや七夕祭りも有名で、毎年たくさんの観光客が集まります。

京都の祭りと东京の祭りをくらべるとかなり违います。京都の察りには伝统的な衣装や立派な山车の行列がみられますが、あまりおもしろくないという人もいます。一方、东京の祭りはきわめて庶民的で美しい衣装の行列はないけれど、そろいのはっぴやゆかたを着て、老若男女が心を一つにしてにぎやかに楽しみます。この顷は男ばかりでなく女の人もみこしをかつぐようです。子洪达もきものやはっぴを着ておこづかいをもらって神杜の出店でおもちゃを买ったり、金鱼すくいをしたりして楽しみます。
同意楼上的观点。

一 日本の祝祭日(しゅくさいじつ)

日本に初めて行った中国人は、日本の祝祭日が多いのに惊く。特に、中国ではまだ周休二日の制度が実施されていなかった时代には、凄く羡ましく感じた。ここに日本の法定祝祭日を绍介しておく。全部で15日である。この中で、祝祭日が日曜日に当たる场合、月曜日に振替休日(ふりかえきゅうじつ)がある。(日本の役所は周休二日を実施していない。)

一月一日 ーー元旦(がんたん) 规定は一日だが、実际には 前后一周间ほど休む。
一月の二回目の月曜日ーー成人の日(せいじんのひ) 20歳の若者の祝い
二月十一日ーー建国记念の日 (けんこくきねんのひ)
三月二十日或いは二十一日ーー春分の日(しゅんぶんのひ)
四月二十九日ーー绿の日(みどりのひ) もと昭和天皇の诞生日
五月三日ーー宪法记念日(けんぽうきねんび)
五月四日ーー国民の休日(こくみんのきゅうじつ)
五月五日ーー子供の日(こどものひ)〔端午节(たんごせつ)〕
七月二十日ーー海の日(うみのひ)
九月十五日ーー敬老の日(けいろうのひ)
九月二十二日或いは二十三日ーー秋分の日(しゅうぶんのひ)
十月の二回目の月曜日ーー体育の日(たいいくのひ)
十一月三日ーー文化の日(ぶんかのひ) もと明治天皇の诞生日
十一月二十三日ーー勤労感谢の日(きんろうかんしゃのひ)
十二月二十三日ーー今上天皇の诞生日

以上は法定祝祭日で、休日になるが、民间の祭りとしては、また别にある。次に主なものを列记する。

二月二日ーー节分(せつぶん) 立春の前の日で、豆まきをして、福を招き、鬼を追い出す。
二月十四日ーーバレンタインデー
三月三日ーー雏祭り(ひなまつり) 桃の节句とも言い、女の子の节句。
四月上旬ーーお花见(おはなみ)
四月二十九日から五月五日までーーゴールデンウィーク
五月二回目の日曜日ーー母の日(ははのひ)
七月十七日ーー京都只园祭り(きょうとぎおんまつり)
八月六日ーー広岛原爆记念日(ひろしまげんばくきねんび)
八月十五日ーー终戦记念日(しゅうせんきねんび)
八月中旬ーーお盆(おぼん) 民族大移动(みんぞくだいいどう)
八月十六日ーー京都大文字送り火(きょうとだいもんじおくりび)
九月一日ーー防灾の日(ぼうさいのひ) 関东大震灾を记念して、防灾の意识を强める。
十一月十五日ーー七五三(しちごさん) 3、5、7歳の子供のための祭り。
十二月二十五日ーークリスマス
十二月三十一日ーー大晦日(おおみそか)

日本的节假日
初次到日本的中国人因为日本的节假日多而感到惊讶。特别是在中国没有实行双休日之前,很羡慕他们。这里介绍一下日本的法定节假日。一共是15天,其中当节假日与星期日重合时,星期一补一天假。(日本的政府机关没有执行双休日制度。)

一月一日----元旦 规定是休息一天,实际上前后休息一周左右。
一月第二个星期一----成人节 为20岁的青年祝贺。
二月十九日----建国纪念日
三月二十日或者二十一日----春分
四月二十九日----绿色之日 已故昭和天皇的诞生日
五月三日----宪法纪念日
五月四日----国民休息日
五月五日----儿童节(端午节)
七月二十日----海之日
九月十五日----敬老日
九月二十二日或者二十三日----秋分
十月第二个星期一----体育日
十一月三日----文化节 已故明治天皇的诞生日
十一月二十三日----勤劳感谢之日
十二月二十三日----当今天皇的诞生日

以上是法定节假日,放假一天。除了这些外,还有很多民间节日,下面把主要的记录如下。

二月二日----节分 立春的前一天,撒黄豆,招福驱鬼。
二月十四日----情人节
三月三日----偶人节 又称桃花节,是女孩子的节日
四月上旬----赏樱花
四月二十九日到五月五日----黄金周
五月第二个星期日----母亲节
七月十七日----京都祗园花车游行
八月六日----广岛原子弹爆炸纪念日
八月十五日----战争结束纪念日
八月中旬----盂兰盆节 民族大移动
八月十六日----京都大文字送灵火
九月一日----防灾日 纪念关东大地震,加强防灾意识。
十一月十五日----七五三 为7岁、5岁、3岁的孩子过节。
十二月二十五日----圣诞节
十二月三十一日----大年三十

日本重要节日
日本政府规定的节假日共有14个,简介如下:

元旦:1月1日。按照日本一般风俗,除夕前要大扫除,并在门口挂草绳,插上桔子(称“注连绳”),门前摆松、竹、梅(称“门松”,现已改用画片代替),取意吉利。除夕晚上全家团聚吃过年面,半夜听“除夕钟声”守岁。元旦早上吃年糕汤(称“杂煮”)。

成人节:1月第2个星期一。凡年满20岁的男女青年在这一天要身穿节日盛装参加各级政府为他们举办的成人仪式和庆祝活动。

建国纪念日:2月11日。据日本神话,神武天皇于公元前660年2月11日统一日本,建立日本国。
春分:3月21日。是天皇祭祖、百姓祭祀祖先的日子。

植树节:4月29日。

宪法纪念日:5月3日。纪念1947年5月3日日本国宪法的实施。

国民节:5月4日。

男孩节(又称“儿童节”):5月5日。这天有儿子的家庭房前均悬挂布制大鲤鱼(称“鲤帜”)。日本以阳历5月5日作为端午节。端午节与男孩节同日,所以这天家家户户门上还摆菖蒲叶,屋内挂钟馗驱鬼图,吃糕团(称“柏饼”)或粽子。

海之日:7月20日。日本四面环海,为了感谢得自海洋的恩典,并祈祷能成为国运昌隆的海洋国家而制订。(制定于1941年,从1996年起成为国民纪念日)。

敬老节:9月15日。各市、町、村纷纷集会庆祝,并向老人赠送纪念品。

秋分:9月23日。是天皇秋季祭祖的日子。

体育节:10月第2个星期一。纪念1964年第十八届国际奥林匹克运动会在日本东京开幕。

文化节:11月3日。对文化事业有卓越贡献者在这一天被授予“文化勋章”。

勤劳感谢节:11月23日。

天皇诞生日:12月23日。明仁天皇1933年12月23日出生,1989年1月7日即位,年号“平成”。

如果去日本作商务旅行,一年中应避开的时间是12月中旬至次年1月中旬(岁末欢度新年时节)、4月29日至5月5日(黄金周假日,日本人一般外出旅游,许多商店都停止营业)、7至8月(这期间商人们要去度假)。

二 盂兰盆节

盂兰盆(うらぼん)
8月には学生は夏休みになりますが、日本では社会人やその家族达も短い休みを行います。それはちょうどお盆が8月にあり、そのために大势の人が田舎に帰るからです。
お盆はまた盂兰盆と呼ばれ、日本でお正月に次ぐ大きな行事です。もとは仏教の行事でした。うらぼんはUllabanaの音訳を略称したもので、本意は「倒悬(逆さづりの苦)」と訳し、この倒悬の苦を救うために法会を行うのでした。「盂兰盆経」等によると、目连尊者が饿鬼道に落ちた母の苦を、仏の教えにしたがって、7月15日(旧暦)に种々の食べ物を供え、この供养で亲の苦を救ったと言われています。
この行事は古くからインドや中国で行われていましたが、日本でも飞鸟(あすか)时代から始まっています。后に広く伝わり、精霊棚を饰り、迎え火送り火を焚いて先祖を祭る日本独特の年中行事となりました。いまでは8月13日前后に先祖の霊を迎え、3日间家族と生活し、16日に送り火であの世に送り返します。京都の大文字焼きはこれら行事の最高でしょう。
日本では自分の故郷を离れて外地で働いている人が多いので、この期间を利用して来各地から故郷に帰ります。先祖との再会と生きている人々の団栾が一绪になったと言っても过言ではないでしょう。中国の风习から见ると、清明と春节が一绪に来たようです。それで皆が自分の故郷に移动するので、「民族大移动」と言われ、大都会の东京などは一时寂しくなります。
お盆の付き物は盆踊りです。盆踊りは本来地狱の亡者の喜びを表わすものであったのですが、今は各地の特徴のある民间踊りとなりました。夏の夜、太鼓の音に合わせて村の全员が轮になって踊るのは、この时期全日本の各地で见られる风景画です。
お盆が済むと、そろそろ秋になり、台风がやって来る季节になるのです。

盂兰盆节
8月份学生们放暑假,但在日本,工作人员和家庭成员也要过短时间的休假。这是因为8月有个盂兰盆节,大量的人都在这时返回乡下的老家去。
盂兰盆节是在日本仅次于元旦的盛大活动,原来是佛教的法式。盂兰盆是“Ullabana”的音译略词,本意是“倒悬之苦”,为了拯救这个苦难而进行的法式。据“盂兰盆经”的解释,说是目连尊者为了拯救陷入饿鬼道的母亲,按照佛教的教义,在7月15日(阴历),供奉各种食品为供品,以这个法式救出了母亲。
这个活动在很古以前在印度和中国盛行,在日本则从飞鸟时代开始进行。后来传播得很广泛。家家都设魂龛、点燃迎魂火和送魂火,成为祭奠祖先的日本特有的活动。现在是在阳历的8月13日前后迎接祖先的灵魂,和活人一起生活4天,16日以送魂火的方式把祖先的灵魂送回阴间。京都的“大文字烧”就是这个活动的顶峰吧。
在日本,离开自己的故乡到外地工作的人很多,所以利用这个时段回老家团聚。可以说这是祖先和活着的人一起聚会,也不算过分吧。从中国的风俗来看,好象是把清明和春节一起过一样。因为城市里的人都回到乡下去,被称作“民族大移动”,这时大城市东京等地有一段时间显得很冷清呢。
盂兰盆节少不了的是盂兰盆舞。这本来是表达了离开地狱的人们的喜悦,现在已经变成了具有各地特征的民间舞蹈了。在夏天的夜晚,合着大鼓的鼓声,全村的人围成大圆圈跳舞,是这个时期在日本各地都能够见得到的风景画。
过了盂兰盆节,渐渐进入秋天,该是台风袭来的季节了。

三 端午节

端午の节句(たんごのせっく)
五月五日は日本の「端午の节句」です。端午の节句はまた「子供の日」とも言われ、男の子の祭り日です。この日には、男の子のいる家では武者人形(むしゃにんぎょう)を饰り、鲤帜(こいのぼり)を立てて粽(ちまき)や柏饼(かしわもち)を食べて祝います。
鲤帜を立てるのは、子供が鲤のように元気に育つのをねがうためです。鲤帜を下から见ると、青い空に浮かんだ鲤は、水の中で泳いでいるように元気に见えます。その外に、邪気を払うために、菖蒲(しょうぶ)を轩(のき)に挿し、菖蒲汤に入ります。
端午节の习惯は、日本の平安时代以降に中国から伝わってきたものです。しかし、今では中国と相当违う意味になりました。中国では旧暦でこの日に屈原(くつげん)を记念して粽を食べたり、ドラゴンレースをしたりしますが、日本では邪気(じゃき)よけに粽や柏饼を食べます。菖蒲は叶の形が剣(けん)に似ているところから、悪魔払いの意味で取り入れたものです。中国では菖蒲汤には入らないけれど、菖蒲酒を饮みました。客観的に言えば、5月になれば、万物が盛んになる季节で、百虫の繁殖も盛んになり、病気をもたらす季节でもあるのです。菖蒲は薬草なので、病魔を避けられるということです。
また、日本でなぜ男の子の节句になったのかというと、これは、菖蒲が尚武に通じるところから、変わったのです。男の子の健やかな生长と立身出世を愿って、鲤帜や武者人形、铠(よろい)、兜(かぶと)が饰られるようになったのです

端午节
5月5日是日本的端午节。端午节又称儿童节,是男孩子的节日。这一天有男孩子的家庭,竖起鲤鱼旗,吃粽子和柏叶饼来祝贺。
竖鲤鱼旗是希望孩子象鲤鱼那样健康成长。从下面看鲤鱼旗,浮现在蓝天下的鲤鱼就很象在水中健壮地游。另外,为了避邪,把菖蒲插在屋檐下,把菖蒲放入洗澡水中洗澡。
端午的习惯是在日本的平安时代以后由中国传入日本的。到现在,与中国有完全不同的意义了。在中国是在阴历的这一天为纪念屈原而吃粽子和举行赛龙舟的活动。而在日本,主要是为了避邪而吃粽子和柏叶饼。菖蒲是因为叶子的形状象剑,而用来避邪的。中国不用菖蒲水洗澡,但喝菖蒲酒。从客观地说,这个时期是万物生长的时机,同时也是百病可能发生的季节。菖蒲是中药,能够消除病魔。
那么为什么在日本端午节变成男孩子的节日呢?这是因为在日语中“菖蒲”和“尚武”是谐音,因此渐渐地变成了男孩子的节日。人们希望男孩子茁壮成长和事业发展,而竖鲤鱼旗,摆上武士偶人、盔甲和战帽。

四 女儿节

3月3日--雏祭り
雏祭り(ひなまつり)はまた「雏节句(せっく)」、 「桃の节句」、「弥生(やよい)の节句」、「上巳(じょうし)の节句」とも言い、女の子の将来を 祈る祭りである。
古くから日本では「雏游び」というものがあった。ひな人形を作り、玩具の调度 品(ちょうどひん)を供えて游ぶ女の子の游びであった。また中国から伝わった厄払い(やくばらい) とは、身についた厄を払うために神仏(しんぶつ)に参拝(さんぱい)することである。この二つの行 事が一つになり、初めは流し雏(ながしびな)の行事を行った。それは三月の巳(み)の日に纸人形に 生年月日を书き、阴阳师(おんようじ、おんみょうじ)の祈祷(きとう)によって、身の汚れをこれに 移し、川や海に流す行事である。この行事はいまでも鸟取(とっとり)県に残っている。昔水に流した 人形を棚に饰り、进化し、商品化したのが今の雏坛(ひなだん)である。雏坛に白酒、菱饼や桃の花を 饰り、その前で、女の子たちは奇丽な和服を着て、游ぶのである。
雏坛は赤い绒毯を敷いた阶段で、最上段には内裏様(だいりさま)、次の段には 三人官女(かんじょ)、三段めは五人囃子(ごにんばやし)、その下が左右大臣(さゆうだいじん) である。最近は七段、八段と并べてある商品もあるが、価格が高いのと部屋が狭いのでどれぐらいの 人が买うだろうか。両亲が娘に揃えたり、娘の娘に送ったりする。
雏人形は昔の宫廷(きゅうてい)を模拟(もぎ)したもので、当时写真が无い时 の御姫様(おひめさま)の结婚の様子を现したという说もある。现代の太子妃が结婚の际、御内裏様と 同じような十二単(じゅうにひとえ)を召しておられる。今は大きい雏坛は场所を取るので、却って小 さな変わり雏を饰る家庭もある。

3月3日--女儿节

3月3日是女儿节,在日本有很多名称,是祝愿女孩子幸福的节日。

从古代起日本就有“雏戏”,是作些偶人和配一些生活用品的女孩子的游戏。另外从中国传去了驱邪的祈祷活动。这两个结合在一起,渐渐转变为女儿节的活动。起初是作一个纸偶人,上面写上生年月日,在算命先生的引导下把自己的不幸转到偶人身上,再冲到海里或河里。现在,在鸟取县仍然保留着“流雏”的活动。把古代冲到水中的偶人现代供到台上,形成了进化了的、商品化的女儿节偶人坛。再供上白酒、菱形年糕和桃花,女孩子穿上漂亮的和服,在偶人坛前尽情玩耍。

女儿节偶人坛是铺设着红地毯的多层台阶。最上面是宫廷的帝王夫妻;第二层是3个女官,第三层是5个宫廷乐师,第四层是左右大臣。最近开始出售7层、8层的偶人坛,但是由于价格昂贵和日本住房狭窄,究竟能有多少人购买呢?父母给女儿准备,或外祖父母给外孙女准备。

女儿节偶人是模仿古代宫廷的生活场面,所以有一说是公主结婚时代替照片的东西。现在的太子妃在婚礼上的装束就和偶人坛的最上层的王后一样的“十二层领和服”。现在由于大的偶人坛太占地方,有些家庭摆设着简易的“变形偶人”。

五 节分

节分(せつぶん)
本来の読み方は「せちぶん」で「せちぶ」とも言った。季节の変わり目。即ち立春、立夏、 立秋、立冬の前の日の称であるが、主に立春の前の日を指す。伝统の能狂言のストリーによると、 节分の夜、蓬莱(ほうらい)の岛から来た鬼が主人ガ留守の女主を口说く。女は妻になると伪って 鬼所有の宝物を取り、豆を撒いて鬼を追い出す。
この话から、节分のは柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)の头を刺したものを戸口に立て、 「鬼打ち豆(おにうちまめ)」と称して「鬼は外、福は内(おにはそと、ふくはうち)」と唱えながら、 煎った大豆を撒く习惯がある。お寺では节分祭を行う。

日本的传统活动--立春前一日赶鬼(节分)
节分是指立春、立夏、立秋、立冬的前一天,但主要是指立春的前一天。根据日本传统戏剧的故事, 据说在立春的前一夜,来自蓬莱的恶鬼到丈夫不在的女人家去求爱。女人佯装答应,骗得恶鬼的财宝后,撒黄豆把恶鬼赶走。
由于这个故事,在日本很早就有一个传统的习俗:在立春的前一天傍晚,把插上沙丁鱼头的枸骨枝立到门口,进行“豆打鬼”的活动。把黄豆炒好,放在篮子里,口念“鬼出去,福进来”,在房屋四处撒豆子。在寺庙里还进行祭祀活动。

お正月
お正月

私の国のお正月はほんとうにたのしいです。まずお正月になる前に家の大そうじをします。新しい気もちで新年をむかえられるようにです。そして12月29日ごろから亲せきが长男の家に集まります。女の人たちはお正月に食べる料理を作りながらいろいろな话をします。男の人たちはお酒を饮みながらカードをします。12月31日の夜はだれもねてはいけません。韩国のことわざで「12月31日にねると、かみのけとまゆげが白くなる」と言われているからです。12月31日の夜、12时になると33回かねをならします。その音を闻きながら「1年间幸せにくらせるようにしてください」とおねがいします。

1月1日の朝は家族が全部集まって先祖に感しゃします。それからいろいろな正月料理を食べます。子どもたちは年上の人にあいさつをしてお年玉をもらいます。そしてたこあげやこままわしをして游びます。おとなたちはお酒を饮みながらいろいろな话をします。1月中みんな新しい気もちですごします。

お祭り(日语)

日本には全国各地にいろいろな祭りがあります。夏祭りや秋祭りが多いです。夜祭りとか火祭りなどの珍しい祭りもあります。日本三大祭りというのは东京の神田祭り(5月12~16日)、京都の只园祭り(7月17日中心)、大阪の天満天神祭り(7月24日~25日)です。その他、京都の三大祭りや东北のねぷた祭りや七夕祭りも有名で、毎年たくさんの観光客が集まります。

京都の祭りと东京の祭りをくらべるとかなり违います。京都の察りには伝统的な衣装や立派な山车の行列がみられますが、あまりおもしろくないという人もいます。一方、东京の祭りはきわめて庶民的で美しい衣装の行列はないけれど、そろいのはっぴやゆかたを着て、老若男女が心を一つにしてにぎやかに楽しみます。この顷は男ばかりでなく女の人もみこしをかつぐようです。子洪达もきものやはっぴを着ておこづかいをもらって神杜の出店でおもちゃを买ったり、金鱼すくいをしたりして楽しみます。